頭がグラグラする。嗅いだことがないはずの臭いがする。
この穴へ落ち込むと金属を腐蝕させる塩化鉄で衣服や皮膚がだんだん役に立たなくなり、臭素の刺激で咽喉を破壊し夜の睡眠がとれなくなるばかりではなく頭脳の組織が変化して来て視力さえも薄れて来る。こんな危険な穴の中へは有用な人間が落ち込む筈がないのであるが、この家の主人も若いときに人の出来ないこの仕事を覚え込んだのも恐らく私のように使い道のない人間だったからにちがいないのだ
「機械 」Kindle版 横光 利一 (著)
化学の知識を持つ「私」は、ネームプレート製造所で劇薬を使用して働くことになり、主人からは右腕として重宝されるものの、先輩の「軽部」からは激しく妬まれることになる。そこへ「屋敷」という男が新たに加わって3人の男たちの諍いが始まる。
軽部は嫉妬深く暴力的な男で、私や屋敷は手ひどく殴られたりしている。
それでも、読者に彼らの痛みがびっくりするほど伝わらないのは、主人公の「私」が常に冷めた視点で状況を分析しているからだと思う。
自分のことなのに、他人ごとのように状況を眺めて分析している。
そのうちに、どんどん何が本当なのか分からなくなってきて、自分の頭が狂っているような気になってくるのだ。
この作品の題名でもあり、キーワードでもある「機械」という言葉が4回本文中に出てくるのだが、実は読み終わっても、その意味するところが、私には、うまく理解できていない。
横光の「蠅」という作品でも感じたことだが、人間には計り知れないけれど、運命という機械の歯車は常に回り続けていて、そこからは逃れられない、という諦念のようなものが作者にあって、それを描いている気もする。
そして私はそういう救いのなさを淡々と描きだす作者の感覚に現実を見て、なぜか癒されている。不思議だ。
もう一度、読みたい度
一般的な評価
人間を〈見えざる機械〉の心理が動かしつづけてやまないという,横光の心理主義の認識が,この作で確立されたとみられる。
“機械”, 世界大百科事典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2020-07-25)