ふりかえり

999

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ここのところ、道をてくてく歩いているときに、ふと銀河鉄道999のことを思い出す。不老不死になれるという機械の身体を手に入れるために、銀河鉄道999という列車に乗って、宇宙のいろいろな星を旅する人間の少年が主人公で、小学生だった私はテレビアニメを見て、奇想天外な宇宙の星々の様子をどきどきしながら楽しんでいた。ずっと雨が降り続くため人間は地下で暮らしているという星や、木の上に家を作って暮らす星、原始人のような生物が支配する星もあった。主人公は、列車が停車している時間だけ、その星を探検するのだが、そこで色々な人に出会ったり、事件に巻き込まれたりして、成長していく。

生まれ育った国を離れて、言葉が通じず、知人や家族もいない国で3ヶ月以上暮らすという体験を50歳近くになってから、初めてしているのだが、それが999を思い出させるのだろう。私は不老不死を求めているわけではなく、どちらかというと、心おきなくこの世を去るための準備のひとつとして、こういう選択をしたわけなのだけれど、人生って、本当に旅みたいだなぁという気持ちが、てくてくと歩きながら、3ヶ月経っても見慣れない人々と景色に目移りしていると、ふわっと湧いてくるのだ。

999と私の違いは、明確な目的があるか、ないかだ。少年は、必死に答えを求めて旅を続けているのだが、私は、答えがないことをすでに知っているし、それは探しても手に入れられないこともすでに知っている。私が考える人生のゴールとは死だから、人間は誰でもゴールには必ずたどり着けるのだ。だからゴールを焦って目指す必要なんてなくて、そこに至るまでの道のりで何を経験したか、何を学んだか、それが一番重要なのだと私は思っている。でも短期的な目的を作り、それを一時的なゴールだと考えて、達成をめざすという行為もすばらしいと思う。けれど、それに執着しすぎて、最終のゴールを忘れてしまって、そこにいたるまでの途中の景色が楽しめないのはつまらない。

もうひとつ、大きな違いは、一緒に旅をする仲間がいるかどうか、という点にもある。困ったときに必ず助けてくれる仲間がいるって、理想的だけれど、現実はなかなかそういうわけにはいかないもの。ずっと一緒にいなくても、ときどき助けてくれる人もいるし、たまたま、ある時期ある場所でお互いに協力しあうという関係もある。個人的には、いつも誰かと一緒にいるよりも、後者の関係性のほうが望ましいと感じる。インターネットが爆発的に普及し、誰もがその恩恵にあずかれるようになれば、今後ますます個で生きることを恐れない人たちが増えるだろう。それがどんな未来をもたらすのか、といえば、たぶん、世界的に人口は減少する方向にいくような気がする。私が生きている間は見られない未来だと思うけれど。

999の英語版とかは出版されていないのかなぁ。もう一度、最初から読みたい。私にとっては、アニメや映画よりも、やはり原作が一番しっくりくる。

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