<あたえる>という考え方が欠けている、と気づかされたもんざです。
最近、メイ・サートンというアメリカの女性作家も私のお気に入りに入りました。
いまは、彼女が66歳の時の日記を読んでいます。
(彼女は83歳で亡くなるまでにたくさんの著作を残しています)
少しづつ味わうように、その日の気分でパラッと開いて、好きなところから適当に読み始めます。
■回復まで
メイ サートン (著), May Sarton (原著), 中村 輝子 (翻訳)
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■Recovering: A Journal Kindle Edition
by May Sarton (Author)
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今朝読んで、ハッとしたのが、メイが彼女自身の父の言葉を引用して、若い読者にアドバイスを与えているところでした。
「人間が暮らしていく主たる目的は、その人の内にあるものを他者にあたえることであると思う。それは自己中心的であるとか、ないとかの問題ではない。モーツァルトはおそらく子どもじみたやり方でかなり自己中心的だが、彼の内なるものを世界にあたえた(世界を救うことはできなかった)し、それはなんという贈り物だっただろう。
われわれが手にするのは、何者かである自分自身であり、他者にあたえるだけのものだ。つまり、われわれが自分自身でありうるのは、内なるものすべてを他者にあたえるという条件があってのことである」(引用P.37)
好きな作家に、読後の感想に自身の悩みを含めて手紙を書き送ったらしい若い読者へのお返事に含まれる文章です。
あら。勝間さんのGIVE×5も同じ概念かな。
さて。課題です。
今晩は、秋葉原のマザーハウス本店で、イベントに参加する予定です。
マザーハウス副社長の山崎さんと、サイボウズの青野社長の会話からどんな広がりがあるのか。
彼らの「人材マネジメント」に対する考え方はどのようなものなのか。
そこから私は何を学べるのか。
明日、このカウントダウンコラムでアウトプットしたいな、と思います。
ちょっと「あたえる」を意識してみました(笑)
それでは明日もどうぞよろしくお願いします。