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旧約聖書『創世記』を読み、考えたこと

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2千年受け継がれる物語

最初に創世記を読んだとき、全体的なまとまりのなさと神の不条理さが印象に残った。特に女性の描き方が差別的で不快だったのだが、それは物語の編集者が意図して行ったことであると知って納得した。古事記もそうだが、常に男が女を支配し従属させる形式をもつ物語が、2千年以上も受け継がれるのは、なぜなのかを考えたとき、それは権力者が民衆を支配する方法のひとつであると気づいた。まず、創世記のテーマについて明らかにし、それについて私の考えを述べる。

創世記のテーマとは

創世記は紀元前550年前後に編集され現在のような形になった。作者は一人ではなく、複数の伝統的な資料を後代の編集者たちがまとめたものである。例えばユダヤの生贄に関する律法や、アダムの子孫、ノアの子孫を語り手が紹介することがその理由とされる。最初の11章は類似と対比で世界を表現する。光と闇、陸と海、太陽と月、人間と神など。また多くの二律背反も描かれる。肯定と否定、昼と夜、仕事と休息など。カインとアベルの物語は、善と悪の対立を描く。25章までは神がアブラハムとその子孫に対して個人的に継続的な契約を行ったことが描かれる。契約に従っていれば幸福が得られるという筋書きである。最後の50章までは、ヨセフが兄弟たちと行う罪と贖いのゲームである。

創世記全体のテーマは、神と人間がどのようなゲームをしているのか、というもの。神は目的を選択的にしか明らかにしない。人間がその理性と自由意志を放棄し、目的が分からなかったとしても神に従った行動を取る場合、神は常にその人間に報いるという展開となっている。神は絶対に間違わない(神の無謬性the infallibility of God)という点を信じられるかどうかを、神は人間に試す。(神がアブラハムの息子イサクを生贄として殺すように指示するなど)

編集者の目的は

古代において文字で残された多くの記録が、権力者のためのものであることを考えるとき、このような物語が作られ流布されることの意味は明快だ。神から力を与えられた王は支配者として、正しく人民を治める権利を持つ(王権神授説)ことになる。つまり、ここから権力者にとって都合の良い歴史が始まる。より管理しやすい民衆を生み出す。明確な階層を作り、対立構造を生み出す。(神に選ばれた民のみが繁栄し生き残れる)知恵や知識を持つことが必ずしも幸福に繋がらないという構造を作っているのは、権力者の都合による。何も知らない人は、容易に騙せるのだから。しかし支配される側にとっても、メリットはある。それほど残虐でない者に支配されるのなら、その方が一時的にしろ目の前の苦しみから逃れられる場合もあるからだ。飢餓、疫病、戦争という3大災厄から逃れられず、死が身近だった我々の祖先が、目の前の苦しみから自分と家族を救ってくれるかもしれない力を頼るのは当然だろう。繁殖し子孫を生み育てるという人間の本能も、常に死と隣り合わせの時代では簡単にはまっとうできない。だから人間は心の拠り所として神という存在を想像し、物語を作った。

物語の裏を読む

しかし、現代に生きる人間は、その動物的な本能を徐々に変化させつつある。飢餓、疫病、戦争が激減し、生活の豊かさを謳歌できる時代になると、先進国では出生率が低下し、人口減少が問題になり、寿命が延びた。老いを克服しようという研究もある。今を生きる私たちに、古代の神はもはや不要なのかもしれない。古代の神は、人間が理性と自由意志を捨てることで恵みをもたらすが、その恵みとは、たくさんの子孫と所有する土地の繁栄である。しかし、もはや現代人の欲望は、そのレベルにとどまってはいない。

私が創世記を読んで考えたのは、物語の裏を読むことの重要性である。一見すると単なるおとぎ話のように見えても、その裏にどんな意図が隠されているのかを考えずに鵜呑みにするのは危険かもしれない。また自分は誰と、どんな契約をしたいのかについても考えさせられた。「理性と自由意志」を捨てて神と契約したいのか。私の最終ゴールは子孫を残すことでも、自分が繁栄することでもないので、この旧約聖書に登場する種類の神様と契約する必要はない。私は生まれながらに日本という国家と個人契約を結んでしまっているので、生存権は確保されている。

愛する人と信じられる体験をつくる

最近、ダーウィン事変というマンガを読んだ。半分ヒトで半分チンパンジーの「ヒューマンジー」チャーリーが人間としての権利が保障されないために陥る苦境を読みながら追体験して、命の安全と人間としての権利が保障されていることの重要性を再認識したが、彼と彼を取り巻く人々を繋ぐものは、神ではなくて愛なのだ。フランクルは強制収容所で、もし妻がもう生きていないとしても、私は彼女がまるでここにいて自分を支えてくれているように感じることができるから、彼女の生死はもはや関係がない、と書いていた。カラマーゾフの兄弟で、イワンは神を疑うが弟のアリョーシャの愛を信じている。結局のところ、遠くの神様を信じるよりも身近な愛する人と信じられる体験をつくることが、今の私には最強の救いなのかもしれないと思った。(2043文字)

参考

Homo Deus: A Brief History of Tomorrow by Yuval Noah Harari
Sparknotes / Bible: The Old Testament / Study Guide / Analysis
Man’s Search for Meaning by Viktor E. Frankl
ダーウィン事変 (アフタヌーンコミックス) うめざわしゅん (著)

『旧約聖書』の冒頭の書で、「モーセ五書」の第一書。神の天地創造、人類創造(アダムとイブ)、堕罪と楽園追放、カインによる弟アベル殺し、ノアの洪水、バベルの塔などよく知られた神話的伝承を含む。12章以下には、イスラエル民族の最古の時代の族長アブラハム、イサク、ヤコブの伝承にヨセフ物語が続き、エジプトでのヨセフの死で終わっている。伝統的にはモーセの作とされていたが、聖書学的研究によれば、紀元前10~前9世紀のJ(ヤハウィスト)資料、前9~前8世紀のE(エロヒスト)資料、前5世紀ごろのP(祭司)資料からなり、これらが祭司系の編集者によって前5世紀ごろに現形にまとめられたものといわれる。歴史書というよりは宗教書であって、神の創造した世界における人間の罪に満ちた歴史と、それに対する神の救済の意図を信仰の立場から描いたものというべきであろう。とはいえ、族長伝承などは前二千年紀の古代オリエント史と深く結び付いている。

“創世記”, 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, (参照 2022-07-12)

帝王神権説ともいう。王や皇帝が神からその権力を与えられたという考えを指す。こうした考えは人々の宗教意識の存在を前提にして古くから世界の各地で広くみられた。したがってその社会的・歴史的役割は具体的状況に応じてさまざまであった。16~17世紀のヨーロッパでは,下からの抵抗権を否定するとともに外からの介入--とくにローマ教皇の--を防止し,安全と平和を実現するために,王権神授説が主権論の一般向け教説として重要な役割を果たすことになった。そこでは権力の根拠は人間にではなく神に求められ,王は人間に対して何ら責任を負う必要がないとされた。第2次大戦前の日本においては天皇の神格が天皇の大権と結びついて政治的に巨大な機能を果たしたが,ヨーロッパの絶対主義の場合のように教会といった精神的権威が独立に存在しなかったために,人間の内面支配にまで深く立ち入ることになった。

“王権神授説”, 世界大百科事典, JapanKnowledge, (参照 2022-07-12)

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