ふりかえりTrial&Error

清潔になりすぎて排除や差別を生む社会

ふりかえり
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先日オンラインで観た対談(【対談】藤原辰史×金杭 権力と清潔——「政治衛生学」の射程) がとっても面白かったので、忘れないうちに備忘記録を残しておきます。私に響いたのは、見えないものを可視化すること、汚いものを無意識に排除しようとする私たちの意識の動きに無自覚であることの弊害、みたいなお話でした。参考文献がいっぱい出てきて難しかったけど、それはそれで読んでみたいなぁと思うような本だったから、ワクワクしましたよ。

政治利用される衛生学

最初に金さんのお話から始まったんですけど、ちょっとボーっとしてたら、最初の方は理解がついていかなかったです。来週あたりに見逃し配信が1週間限定とかで共有されるようなので、もう一回ちゃんと見て内容をおさらいしたいと思っています。が、とりあえず、ここは当日記録したメモと記憶に頼って少しだけ書いておきます。

金さんはデヴリンという人の「道徳の強制」を引用しつつ、害になるものを攻撃して撲滅するという考え方が現代社会では一般化しているため、政治衛生の系譜をたどることが、重要なテーマになっていると語られていました。

パトリック・デヴリン『道徳の強制』要約

排除で整えられる社会を問う

私たちが、血などの体液や汚れを避けようとするのは、本能的に危険を察知してリスクから自分の身を守ろうとする本能によるもの。近世までは、ゴミを拾ったり、家畜を屠殺して生計を立てている人々が、社会の底辺層として明確に差別されていました。私たち人間は、無意識のうちに、モノの「汚れ」をそのまま人間に反射してしまう性質を持つため、その人たちを「汚れている」との認識した結果として差別と排除が生じたのではないか、と金さん。差別される人々の状況が、日本と韓国で似ていることも指摘されています。

藤原さんは、18世紀以降に都市の衛生化が進歩することによって、ゴミがまとめて収集されるようになり、汚いものがどんどん日常生活から姿を消して見えなくなっていったことによる弊害について説明されました。ここにゴミと差別の問題がある、と。嫌悪や憎悪を高いレベルで維持するしくみを作っているのは政治的な問題ではないか。私たちが生きる社会の連帯は、嫌悪によって支えられている部分があるのではないか。ドイツのジャーナリスト、エムケは著書で難民憎悪を描いているが、それは憎しみの政治化によるものじゃないか、とも藤原さんは語られていました。

「憎しみに抗って――不純なものへの賛歌」カロリン・エムケ (著), 浅井晶子 (翻訳)

権力と微生物

金さん、藤原さんのお二人ともが共通して、1985年に藤田省三が書いた「安楽への全体主義」という短いエッセイの世界観に共感していらっしゃるようでした。

かつての軍国主義は異なった文化社会の人々を一掃殲滅することに何の躊躇も示さなかった。そして高度成長を遂げ終えた今日の私的「安楽」主義は不快をもたらす物全てに対して無差別な一掃殲滅の行われれることを期待して止まない。その両者に共通して流れているものは、恐らく、不愉快な社会や事柄と対面することを怖れ、それと相互的交渉を行うことを怖れ、その恐れを自ら認めることを忌避して、高慢な風貌の奥へ恐怖を隠し込もうとする心性である。

「安楽への全体主義」藤田省三セレクション (平凡社ライブラリー701) 藤田 省三 (著), 市村 弘正 (編集)

特に藤原さんは、このエッセイの内容をとても重要視されています。都市全体が衛生化していくにつれて、全体主義化していくことは危険な兆候ではないか。例えば、マンションに虫がいるというだけで恐怖を感じる、とか。私たちは、安楽な都市空間を維持するために、どれだけの生物を殺しているのか、ほとんど無頓着になっていないか?と。

私たちは、技術や資本によって、汚いものをアウトソーシングするようになり、そういうことに対面しなくても暮らせるようになりました。それはここ100年くらいの間に起こった変化だけれども、そういう凸凹をなくすというパラダイムは、人間固有のサイクルを作って、自然を搾取しないと成り立たない考えです。それによって、私たちは新しい階層を作り出しているわけです。でも、その階層にも無頓着になっていて、結果として土壌や私たち自身の免疫システムが劣化するという現象が発生しています。そろそろ見直すことを自覚していくべき時期ですよね、というお話。

資本主義と身体性

金さんによれば、昔の生活に戻ろうっていう問題提起は重要になるだろう、とのこと。ただし、主観的で技術的な問題では処理できないし、「この便利さは捨てられないよ」という枠組みでは議論できない(?)ので、アーレントを引用して、我々人間の行為を再評価してみると理解しやすいみたい。

人間の条件 (ちくま学芸文庫) ハンナ・アレント (著), 志水速雄 (著) 形式: Kindle版

明日にもてる希望

汚れ仕事を引き受けている人たちの姿が見えないことが当たり前になり過ぎている私たちの社会は、どこかおかしい。それが社会の全体主義化に繋がっている。それが嫌悪、相互憎悪を生み、排除につながる。他者を、無機物を、排除して撲滅するというヒエラルキーをどうするのか。労働をどのようにヒエラルキー的に再編成していくのか、という問題をどうするか。

★ちょっとまだ全部が整理できない。もう一回、録画をみて追記や修正をします★

参考

このイベントは、アカデミーヒルズが定期的に主催しているもの。私は無料メルマガに登録しているので、案内がメールで定期的に届き、興味を惹かれたら都度チケットを購入しています。登録している理由は、議論のテーマが私の日常とかけ離れていて面白いから。大学教授、建築家、芸術家などによる、資本主義や環境問題といった、ちょっと堅めのテーマでの対談が企画されることが多いかも。過去に視聴したのは、翻訳者の山形さんが登壇した時だったかな。ブログに備忘記録を書いたかな?視聴料は、アカデミーヒルズの会員は無料で、一般は有料(1,100円)。私は一般枠なので1回ごとに料金を支払う形です。ZOOM(オンライン会議システム)で配信されるので、セミナー自体は参加しやすいのですが、受講料を払うためのシステム(EventResistイベントレジスト)がちょっと面倒くさいので、あんまり気軽に購入する気になれないのよね。イベント主催者にとっては便利なプラットフォームのかもしれないけど。

〈衛生〉の語は英語のhygiene,ドイツ語のHygieneの邦語訳として,明治初期に長与専斎が《荘子》からとってつけたものである。衛生学は,狭義には医学の一分野として国民の健康の維持向上を目的とする学問で,外界の要因や先天的要因について研究する。外界の要因としては,細菌,ウイルス,害虫などの生物学的,日照,気温,気圧,湿度などの物理学的,有害ガス,毒物などの化学的な要因のほかに,社会的環境も対象として含まれる。歴史的に,伝染病予防,環境改善,社会医学,公衆衛生などの重点の移動はあったが,その時,その国における健康保持,疾病防止の課題を対象として展開されてきた。衛生統計,精神衛生,食品衛生,環境衛生,疫学および伝染病予防,母子衛生,学校衛生,産業衛生,衛生行政など広範な分野がある。衛生学は実践的な学問で,理化学,工学などの手法,行政や医療保障など社会科学的な分野も含め,積極的に健康時の生活の合理化をはかり,生命を延長させ,人生の質を高めさせようとする点に特徴がある。

“衛生学”, 世界大百科事典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2022-04-12)

[1906~1975]米国の女性政治学者・哲学者。ドイツ生まれ。のちに米国に亡命。著「全体主義の起源」で、ナチズムとボリシェビズムなど、全体主義成立の原因を考究。他に、「イェルサレムのアイヒマン」「革命について」など。

“アレント【Hannah Arendt】”, デジタル大辞泉, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2022-04-15)

「分解の哲学――腐敗と発酵をめぐる思考」藤原 辰史 (著) 青土社 Kindle本あります。購入済。

「帝国日本の閾――生と死のはざまに見る」金 杭 (著) 岩波書店 Kindle本なし。

「ファシズムとロシア」 マルレーヌ・ラリュエル (著), 浜 由樹子 (翻訳)

排除アートと過防備都市の誕生。不寛容をめぐるアートとデザイン

おまけ

まったく今回受講したオンラインセミナーとは繫がりがないんですが、Twitterで映画監督の椎木透子さんを知りました。繫がりはないんですけど、自分のなかで関連性を見出したので、ここに載せておこうと思うんです。私たちの社会に良くみられる排除の構図のひとつ。

小学生のときに大阪に引っ越したんですが、そこでいじめの被害に遭いました。その学校では当時、いじめが日常的に起きていました。いじめの理由はなんでもよくて、ランダムに生徒が順番にいじめられていくという感じでした。最終的に、ターゲットになった生徒が、泣きながら謝って、「ほんなら許したるわ」っていじめの主犯格の生徒が言って、翌日からは別の生徒がターゲットになる、ということが繰り返されていたんです。

レッテルの向こうの「人生」を撮る――椎木透子氏インタビュー

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