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ピント美術館でユスティニアーニのナナイを観た

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ようやく、念願のPintô Art Museumを訪ねることができました。忘れないうちに備忘記録を残しておきます。

空間の魅力

ピント美術館の魅力は開放感あふれる空間にあります。スペイン風の白壁の建物は、アップダウンのある不思議な構造になっており、南国の植物が植栽された中には水が常時流れる池がいくつも配置されています。そこに現代アートとして彫刻が展示され、ベンチや白いベッドも置かれています。家族連れ、友人同士、恋人たちなど、訪れる人々は眺めの良い場所を選んで撮影を楽しんでいました。

たどり着くまで

私は祝日(2021年12月8日)の12時近くに到着しました。バスとUV(乗合タクシー)を使って自宅から美術館の近くまで移動。降りたところから、こんなところに美術館があるのかなぁと不安になりながら、Googleマップを見ながら20分くらい日傘をさして歩いて移動。

声をかけてきたトライシクルのお兄さんに「ピント美術館まで行きたいんだけど」と言ったら「?」という反応だったので、まぁ、Googleマップによると、あと10分程度だからと、てくてく歩きました。

しかし、このエリア(アンティポロ)は山間地なのでアップダウンが激しいことを忘れていました。

良いお天気で強風で何度か日傘をおちょこにしながら、汗を流して坂を上って、また坂を下り、本当にここの道で合ってるのかなぁと何度もマップを確認していたら、たむろしているトライシクルのお兄さんたちがいて、「アニョハセヨ」と声をかけられました。間違いなく目的地は近い。

しかし着いたところは出口EXITの表示があり、ああ、またか、と既視感を覚えました。(ポーランドで宿からアウシュビッツ博物館までGoogleマップを頼り歩いていったときも、裏口に案内されたのよね)

ただ、そのまま出口を通り過ぎて、5分も歩かないうちに正面入口を発見できて安心しました。

入り口を入ると右側に受付窓口がひとつあり、そこでチケットを購入。大人は1人200ペソ。ワクチンの接種証明を提示し、連絡先電話番号を口頭で伝えます。(みんなスラスラと携帯番号を英語で言えるのがすごい。私は数字を脳内でイメージして、ひとつずつ英語に翻訳するから、ゼロ、ナイン、ゼロ。。。みたいに途切れ途切れになる。)

チケットと注意書きをもらったあと、ゲートをくぐると係員による簡単な手荷物チェックがあります。

館内カフェも充実

汗もかいて歩き疲れたし、お昼も近かったので、まずは館内にあるレストランで腹ごしらえ。

メニューを見たところ、けっこう良いお値段でしたが、2-3人でシェアすると考えれば妥当な価格かな。私はメディタレイニアンというペンネパスタを注文。無料のお水をくれたので、ドリンクは注文せず。クリームチーズ系で輪切りにしたグリーンとブラックのオリーブと燻製にしたような鶏肉がどっさり入っていました。緑の葉っぱは彩りとして少し入っていたくらい。野菜少なめ、塩分と脂肪分が高めですが、強い日差しで疲れた身体には美味しかったです。私は一人だったので、食べきれませんでした。

(余談:食べながらピクミンブルームでどうやって新しい種子を獲得するかを検討していました。バッテリーの消耗と戦いつつ)

楽しみ方と注意点

現代アートはインスタレーション、油絵、立体造形など様々な要素があります。自分好みの作品を探してグルグル歩き回るのも楽しいでしょう。意外な場所にアート作品が展示されているのも面白いですよ。疲れたら、またカフェでノンビリできます。アート好きの人たちには、おすすめの場所です。

個人的な感想ですが、グロテスクで刺激的な作品も展示されているので、見学者の年齢は考慮する必要がある気がしました。性的にセンシティブな作品なのでお子様は注意してね、と注意書きがある展示室もあり、おお、配慮があるね、と思っていたら、オープンスペースに、内臓や血液がドロリと出ている血なまぐさい感じの作品は、ふつうに設置されていて、センシティブの基準が不明でした。

ウェブサイトでは現代美術とフィリピンの民族彫刻の展示に力点を置いているようでしたが、比率は9:1くらい。そのため民族彫刻や、それに関連する芸術作品を目的として行くとガッカリしてしまうかもしれません。(それらを楽しみたい場合は、マニラ国立美術館を訪ねることをおすすめします)

マーク・ユスティニアーニ

個人的に最も強く印象に残っているのは、木版に油絵で直接描く技法のマーク・ユスティニアーニ(Mark Justinani)の作品。ピンと美術館の公式ウェブサイトでも一部公開されていますが、実物の質感が全く伝わらないため、魅力的に見えないのが残念ですね。

通常のキャンバスに油絵で描かれた「ナナイ(母)」(1999年)という作品も神秘的で強い引力を持つ作品でした。(ナナイはタガログ語で母)一見すると、子どもに添い寝する母親のように見えますが、実は子どもではなくて、老人なんです。なぜ老人なんだろう、と不思議に思っていたのですが、公式サイトの解説を読み、アーティストが作品に込めた思いを理解すると共に、自分がなぜ惹きつけられたのかにも思い至りました。

2021年は自分の両親との関係性が劇的に変化した一年でしたから。

青緑色で藻に覆われた庭の霞と奥から、しなやかな女性の身体がそっと姿を現す。彼女の肌は月や星の光できらきらと輝き、その裸体は単なる人間というよりも神話的な身体性を帯びている。彼女は横向きに寝て、小さな枯れた老人の体を抱いている。その体は燐光動物のように光っていて、死の淵にいるようだ。しかし、池の向こう側に映るのは、男ではなく、生命という物質から新たに作られたような小さな男の子を抱きしめている。マーク・ユスティニアーニの『ナナイ』は、母性の本質を、子供を産むという意味合いを超えて、比喩的な表現で私たちに語りかけます。母とは自然の力であり、成長のあらゆる状態にある魂を包み込み育む、普遍的な規模の原理である。したがって、すべての男または女は、母性力の思いやりのある見守りの下にあります。そして、この愛情に満ちた抱擁の状態では、すべての人は生まれたばかりであり、すべての魂は、同様に養われるべき子供を内に秘めているのです。
Emerging softly from the haze and depth of a blue-green, algae-hued garden is the lithe body of a woman. Her skin glistens from lunar and stellar lights – her nakedness assuming more mythic corporality than merely human. She lies on her side, cradling the body of a small withered old man, who glows like a phosphorescent animal, on the throes of death. But across the pond, in the reflection, the woman embraces not a man, but a tiny boy, seemingly newly built from the matter of life. Mark Justiniani’s Nanay takes us on a metaphorical spin on the nature of motherhood beyond its denotative meaning of child-bearing. Mother is a natural force, a principle of universal scale that embraces and nurtures souls in every state of growth. Thus every man or woman is under the caring watchfulness of the maternal force. And in this state of affective embrace, every person is a newborn, and all souls have a child within that should be nourished as well. (無料翻訳DeepLで和訳)

“Mother” Mark Justiniani (1999) Pintô Art Museum

アワット(抑制) 油彩/木 :マーク・ユスティニアーニの「アワット」は、たとえ話のようなテーマを持つ木製の油絵シリーズのひとつで、夜会服を着て浮遊している人が、永遠に夜空に浮かないように、地球につながれた手で拘束されている様子を描いています。この作品は、地に足の着いた意識のメタファーとして、夢見る心の行き過ぎた無限の惰性と、その重力の欠如を地球に向かって単純に引っ張ることで抑制する必要性を描いているようです…そして目覚めへ。(Restraint)Oil on wood:Part of a series of oil paintings on wood that have parable-like themes, Awat by Mark justiniani depicts a levitating sleeper in his night clothes being restrained by an earth bound hand to protect him from forever floating into the night sky. A metaphor for grounded consciousness, the work seems to portray the wayward and infinite inertia of the dreaming mind and the need to restrain its lack of gravity by a simple tug towards earth …and to wakefulness.(無料翻訳DeepLで和訳)

“Awat” Mark Justiniani (1999) Pintô Art Museum

非日常を味わう

それにしても、作品を背景にして、自分や仲間を一緒に撮影している入館者の多いこと!確かにインスタ映えしそうな写真は撮れるでしょうが、ゆっくり作品を鑑賞したい気分の人には、ちょっと騒がしいかな、という気もします。

しかし、そういう賑やかな雰囲気も、楽しんでしまえばよいのでしょう。いったい、自分はどこに迷い込んだんだろう?と不思議な気持ちなって、非日常を味わえる空間でした。想像していたよりも近いし、行く方法が分かったので、また訪れてみたいです。

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