どうしたら、シンブルだけど深みのある文章が書けるんだろうなぁと感心していたもんざです。「ファクトフルネス」の第6章を冒頭から読んでいたのですが、改めてこの著者は読みやすくて面白い文章を組み立てる達人だなと思いました。
コンゴ川の南部にあるバンドンド地方で、同僚と一緒に栄養に関する聞き取り調査を行っていたとき、地域の人に食事のもてなしを受けたときの出来事が紹介されているのです。
極貧といわれる地域で、ネズミの丸焼きと芋虫をふるまわれ、同行していた著者の同僚はどちらも食べるのですが、著者はどうしても芋虫が食べられません。
芋虫はダメだ、と断ると「君の仲間は食べてるじゃないか?」と言われ、こう説明するのです。「彼とは部族が違うんだよ。彼はデンマーク、私はスウェーデンなんだ。彼らの部族は食べる。でも私たちは食べない。」そういって両国を隔てている海峡を地図で示して、その場を丸く収めたそうです。
世界中の誰もが、異なる部族は異なる習慣を持っていることを理解しているんだ、という書き出しから、本論につなげています。
もうね、ここ、笑わずには読めません。だって、様子が目に浮かぶんです。最後のオチとか、同僚のデンマーク人の人の様子を想像したりして、ホントにゲラゲラ笑っちゃった。。。
さて。課題です。
私は「考え方 How to Think」という本を読んでいます。
こちらの本の著者もアフリカで彼が衝撃を受けた瞬間について、事例を共有してくれていました。
ある夏にナイジェリアの神学校で牧師さんたちに講習をしていたとき、生徒の一人(ティモシー)が悪魔の赤ちゃんを産んだ女性について情熱的に長々と語ったとき、著者はうまく対応することができず落ち込みます。
著者は「アフリカ人」と「アメリカ人」のキリスト教に対する考え方の違いにどう対応するべきか、と考えていたのですが、ほかの生徒たちがこういったのです。
生徒A「先生、気にしないで。彼はイグボだから」
(ほとんどの参加者がヨルバ族、少数の北部のハウサ族、南東部のイグボ族が参加していた)
生徒B「いや、彼はイグボだからじゃなくて、「ティモシー」だから、ああいう風なんだよ」
生徒Bの言葉を聞いて、彼は自分がカテゴライズ思考の罠に陥っていたことに気づくんですよね。
ほんとに、こういうのってリアルに体験しないと気づけないもんなんですよね。私は、マニラで暮らし始めてから「日本人だから●●ですよね」みたいに言われるたびに、「ああ、またか」と苦笑いして、適当にやり過ごすようになりました。 といいつつも、私自身もフィリピン人の性格とかコミュニケーションの特徴みたいな文章を見つけちゃうと、読まずにはいられない(笑)
それでも「あなたはフィリピン人だから●●ですよね」みたいなことは、絶対に言わないぞ、と決めています。
一般論を学びつつ、それが全てに当てはまるわけではないことを理解して実践するのは容易じゃないのかもしれません。
読書会まで1週間をきりました。
参加予定のみなさまは、ご紹介いただく予定の本をGoogleドキュメントに入力するか、投稿にコメントする形でお知らせくださいね。
■参加者(4名)
1.もんざ
2.かやぱんさん
3.りんさん
4.よしざきさん
今日も読んでくださってありがとうございます。
また明日もよろしくお願いいたします。