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「反知性主義」第3章 反知性主義を育む平等の理念

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読書感想
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今回は、第3章「反知性主義を育む平等の理念」について、気になったところと学習ノートを備忘記録として残しておきます。(9月の読書会までに、この本を読み終えて感想を共有する予定で準備をしています)

「反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体―」(新潮選書)
森本 あんり (著)

第3章では、アメリカが政教分離国家として成立できたのは、神学がその根拠にあることが示されています。ここも注意が必要な点なのですが、日本の政教分離が第二次世界大戦の敗戦によって、半強制的に実施されることになったのとは異なり、アメリカでは、全く異なる理由で実施されています。

当時のアメリカの政治家は特権的な地位を持つ聖職者に反感を持ち、また少数派の宗教信徒は、公定宗教から受ける圧力に困っていたので、国が公金で補助する公定教会制度を廃止する案に賛成したのであり、宗教を軽視したり排除する目的ではなく、「各人の信仰を最大限に発揮し実践することができる自由な空間」を作ることでした。つまり、アメリカの政教分離は「信教の自由」を保証するものであり、それぞれの「宗教が繁栄するための施策」ともなるのでした。

二律背反的な基本姿勢

この章で非常に印象に残った一文はこれ。

民主主義というシステムは、ごく普通の人びとが道徳的な能力をもっている、ということを前提としてはじめて機能する。(中略)平均的な能力をもつ者なら、誰でもよい政府と悪い政府を見分けることができる。そうでなければ、選挙をしても意味がないだろう。(中略)この能力は、単なる理性の能力と同じではない。理性の能力は、たしかに人によって違いがあり、とても平等に分配されているとは言えない。だが、より素朴な道徳的感覚はわれわれに共通に与えられている。(中略)ここに、反知性主義を育む平等のラディカリズムがある

(第三章 反知性主義を育む平等の理念「反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体―」森本 あんり (著) )

非常に楽観的です。このまえ、オルテガの「大衆の反逆」を読んだばっかりだから、余計にそう思うのかもしれませんが。でも、この楽観的なところも、アメリカの特徴だと著者は言ってるんですよね。

アメリカ社会の構造は、常に多数派と少数派のせめぎ合いの中で編み上げられてきたため、彼らの精神は一般の人びとにも深く影響を及ぼしている(中略)基本的なパターンはいつも同じで、いつもチャーチ型とセクト型の対立である。一方で人びとは、国家や政府を地上における神の道具とみなし、楽観的で積極的な社会建設を志す。これはチャーチ型の精神である。しかし他方では、地上の権力をすべて人間の罪のゆえにしかたなく存在する必要悪と考え、常にそれに対する見張りと警戒を怠らない。これがセクト型の精神である。(中略)近年の論争のいずれにも通底する考えである。ここに、権力に対するアメリカ人の二律背反的な基本姿勢がある

(第三章 反知性主義を育む平等の理念「反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体―」森本 あんり (著) )

反知性主義は、このセクト型の精神に、めちゃくちゃフィットするので、アメリカ社会で広がりをみせるようになります。ここまで読むと、日本とは、ホントにずいぶん違うな、と感じます。

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アメリカの反知性主義
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