こういう対話に心躍るのだなと思ったもんざです。
昨日のカウントダウンコラムで、なんで日本では死刑がなくならないんだろう?って書きました。
りんさんと、ミッツさんが、さっそくコメントをくださいました。
平穏な生活から最も縁遠い話題だし、私は身近にリアルでこういう話をできる人がいません。
でも読書会のコミュニティでは、そういう話もできるし、リアクションもいただける。
ありがたいなぁと、うれしくなりました。
方向性は違っても、知的好奇心を保ち続けている方とゆるく長く交流できるって幸せです。
1.進捗報告
さて、今月みなさんと共有したいのは、こちらです。
「増補 責任という虚構」 (ちくま学芸文庫) 小坂井敏晶 (著)
今回は、第3章 冤罪の必然性から心に残った部分を共有します。
この章も非常に読み応えがあり、参考文献にも、読みたくなるものがいくつかありました。
日本では刑事事件の有罪率が極めて高く、99.9%の被告が有罪判決を受ける。つまり検察によって被告人にされるとほぼ自動的に有罪になる。逮捕から起訴を経て裁判所での判決までの一連の流れを「有罪行きベルトコンベア」と表現する弁護士もいる。起訴された者が全員有罪になるならば裁判所は要らない。
「増補 責任という虚構」 (ちくま学芸文庫) 小坂井敏晶 (著) (第3章 冤罪の必然性)
個人の意志を超えた次元で集団行為が自己運動を展開する。意図的に為す逸脱行為・事件としてでなく、ある条件を満たせば必ず生じる事故として冤罪を把握し直す必要がある。冤罪が生ずる原因は、より根源的に罪および責任の本質と関わりを持つ。
「増補 責任という虚構」 (ちくま学芸文庫) 小坂井敏晶 (著) (第3章 冤罪の必然性)
人間は情報の場の力学に恒常的に身を曝す解放された認知システムであり、休止状態にあるビリヤード玉のようなイメージで人間の自律性を理解してはならない。。。磁場に置かれた鉄球が四方八方から引っ張られる引力のおかげで同じ場所に留まるように、人間の自律性は、他者との恒常的な情報交換の中で変遷し続ける動的な均衡状態として把握すべきだ
「増補 責任という虚構」 (ちくま学芸文庫) 小坂井敏晶 (著) (第3章 冤罪の必然性 註28)
この章で私が思ったのは、裁判官という職業は、いずれ人間ではなくAIにやってもらっても良いのではないか、ということです。
もし人間の裁判官が、被告人の公判の供述よりも、警察や検察官が自白を強要して作成した供述調書が「理路整然と」「迫真的に」書かれているために、信用するならば、本当に裁判官は人間じゃない方が冤罪を減らせるかも。
今日も読んでくださってありがとうございます。
明日もどうぞよろしくお願いします。
2.参加者(3名)
- もんざ「増補 責任という虚構」 (ちくま学芸文庫) 小坂井敏晶 (著)
- にしやまさん「キミが信頼されないのは話が「ズレてる」だけなんだ」 横山 信弘 (著)すばる舎
- りんさん(選書中)
共有予定の本
人間は自由意志を持った主体的存在であり、自己の行為に責任を負う。これが近代を支える人間像だ。しかし、社会心理学や脳科学はこの見方に真っ向から疑問を投げかける。ホロコースト・死刑・冤罪の分析から浮き上がる責任の構造とは何か。本書は、自由意志概念のイデオロギー性を暴き、あらゆる手段で近代が秘匿してきた秩序維持装置の仕組みを炙り出す。社会に虚構が生まれると同時に、その虚構性が必ず隠蔽されるのはなぜか。人間の根源的姿に迫った著者代表作。文庫版には自由・平等・普遍の正体、そして規範論の罠を明らかにした補考「近代の原罪」を付す。
<内容:アマゾン商品説明より> 「増補 責任という虚構」 (ちくま学芸文庫) 小坂井敏晶 (著)
本書では、スグできて効果が出やすい「42の方法」を紹介している。
いずれも、長年コンサルタントの現場で使い、お客様と瞬時に信頼関係を結んだり、本音を引き出したりするうえで、有用なコミュニケーションスキルをベースにしている。本書で紹介するコツを身につければ、日々の会話ストレスがグンと減ることは間違いない。
<内容:アマゾン商品説明より> 「キミが信頼されないのは話が「ズレてる」だけなんだ」 横山 信弘 (著)すばる舎
話がズレて「わかってないな」と思われる状態から一転して、
「わかってるね!」と言われるようになり、仕事がサクサク進み出す。
職場の人間関係が俄然良くなり、お客様から「キミには、つい本音を話しちゃうな」と言われるようになる。
さらにキーパーソンや重要な人物からも、絶大な信頼を勝ち取れるようになるはずだ。